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錺屋・錺職人と棟方の歴史のご案内ページです。

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錺屋/錺職人
金(属)を芳しいまでに装飾・加工する伝統技術の職人

~私たちジュエリーを形作る職人は【錺屋/錺職人】といわれます~


【錺屋(かざりや)/錺職人(かざりしょくにん)】の歴史

手作業で錺(飾り)づくりを主とする職人。

錺は“かざり”と読み、錺とは“金属に施した細かい飾り”を意味し、“金(属)を芳しいまでに装飾する”ことから作られた文字だという。


古来、世界各地の(古代エジプト、メソポタミア、アステカ、マヤに代表される)文明の中で装身具は自身を引き立てるもの、
富や権力を誇示するものとしても珍重されるようになる。


宝石をあしらったものはもちろん、紀元前4000年頃、エジプトやメソポタミア地方で生まれた(諸説あり)とされる金属加工技術によって、
金や銀を細工した指輪やネックレス、耳飾り、ブレスレット(腕輪)、頭飾りなども作られ、古代人たちを華やかに彩った。


日本も同様、祭祀に利用されていた装身具は、縄文時代になると、自らを飾る道具へと変化していく。

当時の遺跡からは着飾った埴輪、多種多様な腕輪や耳飾り、ネックレス、櫛などが出土し、縄文人が日常的に装身具を身に付けていたことがわかる。
当時は角や骨、木などを用いた装身具も作られており、玉状の飾りや彩色が施されているものも出土していることから、
これで髪を結っていた可能性があるといわれ、これが「かんざし」の起源とされ、人々は髪に刺すことで呪力が宿り、魔を払うことができるとも考えられた。


錺職の技術・生業の起源は諸説あるが、古いものは弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元3世紀中頃)の出土品のなかに金属製の装飾品が見られ、
この当時から金物装身具を作る職人(=錺職の起源)が居たとされる。


以降古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の終わり以後、装身具全般があまり作られなくなり金属の装身具もいったんはほぼ途絶えるが、
仏教が伝来した飛鳥時代(593年~710年頃)に寺社建築を密かに、且つ煌びやかに支える金具や装飾品の技術や技法が発展し、
さらに平安時代(794~1185年/1192年頃)に発展した金、銀、銅細工の技法は以後脈々と伝えられ、装飾品の人気が高まる江戸時代
(1603~1867年)に、金、銀、銅細工の技法を受け継いできた金属加工専門の職人たちが、錺職(かざりしょく、または錺師)と呼ばれるようになる。


工具は鎚起の金床(かなとこ)、金槌(かなづち)、金鋏(かなばさみ)や彫金のたがね、やすりなど。


錺職人はこれらの道具類を駆使し、真鍮や銅、銀といった金属に“装飾と補強”を兼ね備えた文様を刻む職人のことを指し、
元来の鎚金(ついきん)や鍛金(たんきん)の技法に加え、細金(ほそきん)細工や彫金、鑞付(ろうづけ)や鍍金(めっき)、象嵌、七宝など
様々な伝統的金属加工技法を総合的に扱い、金属を芳しく細工する職業とされる。


錺職人の主な製作品は、指輪、簪(かんざし)などの装飾品のほか、鎖、煙管(きせる)などの日用品、箪笥(たんす)、長持(ながもち)など家具や神輿、
山車などの金物や家形飾(やかたかざり)など、錺職は様々なものを製作する職人として神社、仏閣や御輿などの飾りの製作はもちろん、
時代の変化に合わせ貴金属加工を行いアクセサリーなどの装身具の製作も手掛けるようになっていった。


近代になり装身具の流行(特に洋風への変化)につれて、金銀細工師ともいわれるようになり、首飾り、耳飾り、カフスボタン、宝石箱、たばこケース、
コンパクトなどを製作するようになったが、今でも社寺建築やお城などの和金物——擬宝珠(=手すりや欄干につけられる飾り)、六葉(=釘を隠すもの)、
破風飾り(=屋根の破風下を飾るもの)、襖の引き手金具、御神輿の頭の鳳凰や、屋根の蕨手や吹返し巴なども請け負っている職人もいる。


永年にわたり日本の風土や自然と融合・調和しながら変化と発展を遂げてきた日本的装飾用金物「錺金物(かざりかなもの)」。


古来から存在し、その意義・形態は時代と共に移り変わりをみせながらも、その核心的な技術や職人の魂は脈々と受け継がれ、
今も私たちの日常生活から心の拠り所となる建物まで、幅広く身近に触れている技術である。

















【錺職・棟方について】

一回目の「東京オリンピック」が開催された1964年、修が山梨県の(特に装身具の)錺技術を受け継ぐ工房へ修行の為就職。
父が鉱石や宝石を扱う仕事をしており、その伝手により【錺職人】の道と出会う。


以降数年、日々鍛錬に励み、主に1点ものや特注の装飾品製作に携わる。


数年に渡り確実に技術、実績を積み重ねてゆく中、時代は「バブル期」へと突入。
以降、それまで以上に着物(に付ける装飾品)より洋服につけるジュエリーの需要が格段に多くなり、
それに伴い貴金属装身具の製作の割合が大半を占めてゆくこととなる。


今後もその流れが強くなると感じ、より貴金属の錺技術に特化した東京の工房へ移籍を決意。


移籍後1977年に独立、1986年に埼玉県浦和市(現さいたま市桜区)へ移転。
この頃にはで伝統的な和装の装身具や家形飾等の依頼は皆無となり「ジュエリー」製作が大半を占めるようになる。


以降、現代のアイテムと古来からの伝統錺技術の融合が進む。



【主な経歴】
・第5回プラチナ・ギルド・デザインコンテスト入賞
・1981年ダイヤモンドデザインコンテスト 1等賞
・山梨県甲府市長章受賞

【所属団体】
・協同組合山梨県ジュエリー協会
・日本貴金属文化工芸協同組合
(※いづれも現在は退会)




日本古来からの伝統技術で皆さまのジュエリー作りをお手伝いします。




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